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伝えたい言葉 に参加中!
mixiは最近毎日見るようになってきました。

自分の新しいメールボックス代わりですね。

なんだかちょっと公的な自分の新しい舞台代わりに使わせてもらっています。

不思議とブログよりも親密になりやすいんです。

これは必ず来た人が足跡を残すしかない仕組みができているからなのと、自分が色々人の共感を得る内容を発信できた喜びを、すぐ感じることができるからですね。

まだmixi参加されていない方がおりましたらぜひご一報くださいね。すぐ紹介メールを発行させて頂きますよ。


では最新更新分のプロフィールご覧下さい。もう少しわかりやすくしてみました。ご意見もお待ちしていますね。





mixiで友達作りたくて参加しました。

私は人を愛するために地上に生まれました。それが自分が存在している永遠に変わらない唯一の目的です。

友愛、隣人愛、家族愛、兄弟愛、夫婦愛、親子愛。

愛こそは最高の奇跡。生まれてよかった、と一緒に分かち合ってくれるあなたをさがしています。

人は愛を現実化するためにこの地上に来たのですから、犠牲奉仕、感謝、忍耐、どんと来いというものです。

でも本当にそうなのでしょうか。
ちょっと考えてみましょう。

まず、人として生まれて来る方は、例外なく自分の意志で生まれている方はおりません。私もあなたもそうですね。

退行催眠なんかで、今回の人生はこういった課題を超えて人格を磨くことを目的に誕生する、ということを計画してから生まれてくる方も、数万例の実例が存在しているのであながち非科学的とは言えなくなってきているようですが、少なくても私たちにおいてはそういった生まれる前の記憶があるわけではありませんし、気がついたら生まれていて、いつの間にか生きなければならない運命の中にいるというのが、誰しも当てはまる人生ではないでしょうか。

親にしてもこういった子供が欲しいので、目鼻立ちはこうやって、性格はこうして、性別はやっぱり…という風に計画して子供を作ることが出来る人間は事実上一人も存在しません。


私たちは皆、例外なく自分の意志で生まれた存在ではないということです。


つまり、自分が原因となってここに来たのではなくて、何かは分からないけれども、もっと人間という存在の前にはその原因的な何かがあって、そこから結果的に私たちはここへやってきた、というのが否定できない事実ではないでしょうか。

その原因的存在である何か、その最も重要であるはずの自分自身のルーツの中のルーツであるその最重要ポイントに関して、漠然とした考えしか持つことも出来ず、実感も何もなく、分からないまま生きるために生きているという、ほとんど精神的に死んだような状況の中で、争いながら迷いながら生きているのが、我々人の姿をした存在達の実情です。

これは男性であっても女性であっても老若男女例外はありません。

人のために無償で生きることに喜びを感じるのでボランティアに精を出す方ですとか、公的な大仕事を達成した時の達成感の喜びのために一生懸命生きる方もおりますが、結局どんなに良いことを達成したとしても、必ず人の姿をした存在には死が訪れます。


生まれたのも自分の意志でなければ、死ぬのも自分の意志ではない。


このあまりにも不可思議とも言える運命圏内の中において、はかない喜びのために一生を費やしている存在が我々人間なのではないでしょうか。

ですから普通は生きていることに嫌気が差すのが当たり前です。人生は苦海であるという言葉もあります。それはある程度永遠性への認識を持つことが出来ている人にとっては、正常な感覚と言えるのではないでしょうか。


ところで、人は男性と女性の姿をした存在ということで分類できますが、男性は女性のために、女性は男性のために存在しているといえます。

結果的に、この二種類の形態でなくては愛の概念を最大限に現実化することが出来ないために、私とあなたは男性か女性として存在しています。

そしてすべての存在の根本的原因としての神様が、愛する対象としてこの宇宙と地球と人間は造られました。

幸せは誰かと分かち合った時に現実のものになりますよね。

じゃあなぜ人間は存在しているのでしょうか。

我々の原因であるその何かが、幸せを分かち合うために、愛を受け取ってくれる存在が欲しくて、私たちを誕生させたのではないでしょうか。

ではなぜこんなにたくさんの人がこの宇宙には存在する必要があるのでしょうか。私と好きな人だけいればいいのでしょうか。

それでは愛を分かち合える存在の数が少なすぎます。私たちの原因であるその何かは、とてつもなく愛を与えて幸せを感じたいという願いをもたれているから、こんなにも多くの人がいるとも考えることはできないでしょうか。


その何か、我々共通の先祖であり、原因である方を神様と呼びます。仏とか、天とか、サムシンググレートとか呼ぶ方もおりますが、要は人間の原因です。

日本的には八百万の神とか、先祖まで神と呼ぶこともありますが、神は唯一根本の我々を造られた父母なるそのお方にのみ使うべきであって、それ以外のどんな霊的存在も神ではなく、結果的な存在です。

そして神様本人にも生命があります。人格があります。心情として喜怒哀楽もあります。人間の原因ですから、人間以上にもっと激しく、もっと大きく、もっと繊細でもっと小さな心情も持っています。

そして男性的要素と女性的要素が一つになった方です。一つになった夫婦が、その神様に実際に似ているのです。現実の世界ではなかなかそのことを実感できるのは難しいようですが。

ですから私たちはもっともっと自分の親である神様のことを良く知って行かないといけない。そうでないと結果的存在である自分が、今ここに生きている目的が分からないでしょう。

ただ、形だけがない神様なので、人間を自分の形として造りました。人間の心の中に本当はいつも住んで、自分のすべてを投入した、自分の子供である人間と愛し合いたいのですね。

時には男性として女性を愛し、時には女性として男性を愛し、夫として、妻として、子供として、おじいちゃんおばあちゃんとして…。

あなたには良心があると思います。しかし自己中心的な邪心もあると思います。

良心と自分が一つになっている時は永遠性に気持ちも通じていて、あなたのその心情の中に実際に神様もおられるはずです。

でも邪心・イライラやキレている時、闘争的な時や、思考方式が自己中心的な時なんかは違う存在に侵入されています。

現在人間の心理世界を実効支配している存在ですね。こいつは本当に巧妙なので心に完全に侵入することを阻止するには、いつも感謝・尊敬・謙遜・温厚・忍耐・自己犠牲ということを意識していないと、簡単に傲慢になって、自己中心的な心理状態になり、侵入を許すことになります。

これは人類最初のカップルの段階で招いた失敗が原因で生じることになり、人間の中にまずは心理的に、そして血統的に侵入されました。

分子生物学的に、二〇万年ほど前のアフリカ東部に、その人類最初のカップルは実在したと認定されています。今の67億人の人類は、科学的に見ても、たった一つのカップルの子孫であるということは間違いないようです。

そして、人を狂わせる「悪魔」という存在は、実際に存在する霊的存在です。なかなか正確に認知することは難しいですが、侵入を受けている時の人の顔の表情はこの世のものとは思えない醜さがありますね。

それはそうです。本来は愛と調和の実現を目的としたこの宇宙の中にあって、あり得ない存在ですから。真逆の要素で神様に対抗しているのです。それが自己中心的要素です。

悪魔に心が侵入されている時には善良な方を見ると攻撃して排斥したくなります。その悪魔の本性のままに行動している自分になります。

人が堕落した無明な存在であるというのは、悪魔との血統的因縁を今までずっと断絶することが出来なかったからです。自己中心になるように巧妙に誘導してくるその精神的要素は、実は血統的に遺伝しています。

養子縁組などの家庭で、その養父母の精神的要素がどの程度その養子に伝えられるのかという研究がよくされていますが、実際には血統的な実の父母からの精神的要素がどうしても色濃く遺伝してしまうようであり、養父母から伝わる要素というのは後天的な習慣性などといった要素になるそうです。

つまり、どんな人も自己中心的な要素を逃れることができない運命にあるわけですが、これはまさに血統で遺伝して受け継がれてきてしまっている要素であるから、完全にぬぐい去ることができないということを証明しているわけです。

血統は目に見えないものですが、恐ろしくその人の一生を深く規定する力を有しているのです。

そして、あなたを含めて人類全体は、その人類最初のカップルの家庭出発の際に、実際に悪魔との不倫の血統的因縁を結んで出発してしまった存在であるということが、聖書に比喩的に記述されています。

「禁断の果実を食べる」ということが、つまり不倫の性関係を結ぶということの、比喩的表現であることはおわかりですね。

だから自分の親である神様の実在を認知できない状況下において、苦しみもだえて生きることしかできない悲惨な状況に堕落させられました。

その虚しさから逃れるために、お金や異性や地位や名誉、もしくは様々な霊的癒しや既存の宗教などで対症療法を必死に試みているようですが、根本的解決には、どうしてもなり得ないということを否定できませんね。

ですから最優先事項をなおざりにして、目先の対症療法に踊らされて生きるしかないことができないというのが現実の人類の実情なんです。これは心底幸せな状況と言えるのでしょうか。それとも人間をその無知の闇の中でもてあそんでいる、悪意の霊的存在の働きを認定せざるを得ないでしょうか。

神様を認識している方でも、悪魔という実際にいる霊的存在も認識していなければ、人間の悪を説明することはできないのです。我々はその悪意の霊的存在の血統的な影響下の中で、常に対症療法に奔走することしかできないような現状であることをまずは認めた上で、真理に基づいて現実の生活を再構築する根本治療の求道者の道を出発することが可能になります。



ところで、本当に実際に、宇宙を造られた父母なる神様が現実にいらっしゃるとして、人間世界に神様本人が来られて、体を持って一緒に生活していたという時代は、人類歴史上かつて一度でもあったでしょうか。


人間に愛を与えて幸せを分かち合うために造ったはずなのに、なぜ実際に来ることができず、霊的に漠然とした神様でしかないのでしょうか。

この宇宙創世以降の、神様と人間との断絶はいったい何を意味しているのでしょう。

神はいない、といわれて久しく時代は流れてきました。左翼側の唯物論的・実存主義的哲学者の言うことも確かに分かります。しかしそれは霊的に無知なる状況下にあるために分からなくなっているのです。

まだ人類の中に実際に体を持って神様ご本人がこられていないことは確かです。

自分が神である、というようなたぐいのことをおっしゃる方も歴史上多数おられました。多くは独裁的手法で人を支配した後、悲惨な死を遂げました。それは真実ではなかったのでしょう。

しかしイエス・キリストのみは自分は神の一人子であると宣布いたしました。

「私の中に父がおり、父の中に私がいるのである。私を見たものは父を見ているということが分からないのか。」と、当時のユダヤ教の統制下の中では殺されるしかない驚くべき宣言を命がけでなさいました。

そして、、悪魔の子となっている人類も、本来は自分のように神様の子供であることを、初めて人類に伝えるために来られたのです。

しかし彼は無残にも殺されました。

何度も予言者を通じてメシヤが来ると言われていたのに。異端者として、ほとんどカルト宗教の先導者としての扱いを受けて殺されました。最後には弟子たちにも裏切られて逃げられてしまったのです。

しかし、最後に彼は、自分は再び来る、という言葉を残しました。この地上に、現実の人間の姿で。




人類は人間の知恵や力だけでは根本的な争い、矛盾や戦争を解決することが出来ないということを、そろそろ気がついている方が多くなってきております。

すべての人間が確実に愛の欠乏症に掛かるしかないという、血統的な遺伝病にかかっているこの深刻な地球の状況を、根本的に救済する計画はその中にあっても確実に進んできています。



今、人の姿をして生きているあなた。



自分にはひょっとして何か人とは違う責任があるかもしれないと感じていながらも、特に行動を起こされているわけではないのではないでしょうか。


あるいは行動をすでに起こしてはいるけれども、これこそが自分の人生をすべて掛けて成し遂げるべき事であるという確信には至れず、どこかくすぶっているのではないでしょうか。


また、今自分は最高に満足で有意義な人生を送っていると自負している方であっても、あなたのその願望や個性は、どこから来たのでしょうか。あなたがこの世界に生まれてきた本当の理由に基づいて行動しているのですか。そして、なぜあなたは確実に死ぬのでしょうか。

根本的には何も思い通りに生きているわけではないのです。そうであるように思い込まされて、踊らされている可能性が非常に高いのではないでしょうか。

私たちは、自分の個性も人種も性別も、誕生する父母も、死の時でさえも、自分自身ではコントロールして生まれることができる人がこの世に一人としていない、不可思議な結果的存在なんです。

あなた自身は、あなた自身が存在している原因ではないのです。

何かはよく分からない原因からいつのまにかここに生まれて来ることになった、結果的存在なのです。この現実をあなたの父母も認める以外にはありません。人自身は人が存在している原因ではないのです。

このことを否定できるでしょうか。

そして、そういった疑問を完全に解決していないのに、本当にあなたは満足して生きることができるのですか。

それともそういったことには目もくれずに、あきらめているのか、無視しているのか、自分なりの答えの中で安住してしまっているのか、中にはまだまだその求道の過程であることを自覚して精進されている方々も多くいらっしゃるようではありますが、弟子では、その師匠以上になることは難しいのです。

つまり、地球に現存する、既存のあらゆる宗教・心理学的探究手法・様々な修行・生活的実践方法では対症療法の次元を根本的に脱出することはできません。

追い求めて行くうちに、ある段階の幸せに至ることはできるのかもしれません。

ですがそれを根本的解決であるとは言えないのです。

既存のどれかの宗教や実践手段で、根本治療が可能である手法が一つでもあるならば、すでに世界の現状は違うものになっていてしかるべきです。

しかし、いま現在の結果的世界をよく見れば、まだその根本的治療に至る真理は出現していないことがよく分かります。

それが本当に現実となるためには、人間と宇宙を造られた父母である神様本人と一体になった代弁者が、直接人間の姿でお越しになられて教えて下さる、その真理を通じることなくしては、根本的な解決に至ることは、絶対に不可能であると断言いたします。

それが、再び自分は来ると宣言されて2000年前に十字架で虐殺された、イエス・キリストです。

彼が再び地上に戻ってこられる時が、ようやく地上に巡って参りました。


新しい真理の出現の必要性を、おわかりいただけたでしょうか。


それでは以上の話を冷静に判断して、あながち荒唐無稽な話であるとは思わず、自分の本当の存在目的、本当の存在理由を探求して行きたい求道者の方。

マイミクになりましょう。

私がご案内します。


ただ、無理強いはいたしません。

神様に似て、善良な方は皆そうです。傲慢な人が静かになった時にしか、善は現れません。


だからいつも静かにしていましょう。


あなたの心と口は、人を非難するためではなくて、感謝の言葉、愛の言葉を伝えるために造られているのですから。


本当の目的に沿った人生を、すべての人が送ることができますように…。





ついに自分の哲学のコミュニティ立ち上げました。

マイナーなので参加者はあまりいない状況ですが、是非ご参加お待ちしております。

更新頻度も本人超多忙なためなかなか難しく、数ヶ月ぐらい放置することもあるかもしれませんが、必ず私は戻ります。気長にお待ち下さい。

質問のある方は、本人との直接のやりとりをメールで希望される方がいいかもしれません。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=3675519


仕事はSOHOでナレーターしてます。私の音声を聞きたい方はどうぞ。まだ滑舌や鼻声が解消しれていないのですが…。訓練中です☆

http://sohovoice.seesaa.net/


「川嶋哲学」日記でリンクしている外部ブログです。求道者のあなた。是非どうぞ。更新は難しい状況なのですが、すみません。

http://www.voiceblog.jp/tetugaku/


別途つぶやき系のブログもあります。ダイエット、哲学、政治、何でもござれですな。

http://kawashiman.livedoor.biz/